私が小学生の時に通っていた塾の話です。
ゆくゆくは私も教鞭を執ることになる学校が運営している夜間生の話なのですが、まあとにかく英検合格者がすごかったのです。そもそも200名近くの小学生が通っていて、そのほとんどの子どもたちが英検を受験していました。そしてどんどん英検に受かっていくのです。この塾は、士心塾の本校がある東松山市とほぼ同じ人口の都市にありました。
これは30年前の話です。。
教鞭を執りはじめた新社会人時代に、強く感じたことがあります。それは保護者の意識で、ここのレベルまで持っていってください、というようなものではなく、子どもをどんどん成長させてほしいという、制限なき想いです。
英語というのは、30年前も現在も、同じように大切な位置付けなんだなと実感させられます。そして30年前も現在も、保護者の気持ちは変わらないと感じます。子どもの英語力を伸ばしてあげたいという気持ちです。
ただ、英語を伸ばしてあげたいという気持ちは同じなのですが、実は保護者によって少々異なる学びについての考え方を持っている事に気づかされます。私が子どもたちを指導していても、どの子どもたちも間違いなく伸びます。しかしながら、保護者の考え方によって、能力の伸びる具合、言い方を変えますと、伸び率が変わるというのは、たびたび感じるのです。
では異なる考え方とはどのようなものなのでしょうか?
それは、
①「子どもの学びは、どこまでという制限は設けず伸ばしたい・・というスタンスの考え方」
②「子どもの学びは、保護者が指定するレベルまで伸ばせればそれで十分・・というスタンスの考え方」
この2つです。
私は親の立場で考えた時、①の考え方のタイプかなと思ったりします。しかし②の考え方になる時もあります。では、指導する立場で考えたときにどうかと言いますと、断然①の方が指導しやすいのです。
それはなぜかと言いますと、②の保護者で育つ子どもたちは、保護者の考え方に影響を受けているケースが良く見られるからです。要は自らどんどん成長したい願望がある反面、親の考えを無視できず、ブレーキがかかっているのです。
一方で①の保護者で育つ子どもたちは、ブレーキなどありません。やればやるだけ、結果がでればそれだけ親に褒められる。どんどん前進していきます。この傾向は、指導現場で実際に感じていることになります。
また、別の事例で言いますと、士心塾には複数のコース、クラスが存在しますが、子どもたちによっては、授業にでたくてでたくてしょうがない、やりたくてしょうがない、でも親からお許しがでなくて、出席できない・・。なんてことはよくある話です。これはお金がかかるから?と思われるかもしれませんが、決してそれだけではなく、無償で提供するクラスでも同様な事が起こったりします。
友達は授業を受け、どんどん成長していく、レベルアップしていく、けれどもそれをじっと我慢して、下を向いている子が実際にいます。本当に心が痛みます。しかしこればかりは、保護者の考え方次第なので、我々もできることに制限がかかるのです。
士心塾では、保護者がどのような考え方であっても、与えられた枠の中で、しっかりとお子さまを必ず成長させていく、そこに一点コミットして日々取り組んでいます。