色々人生と学び

大人の学びシリーズ その3 子供を叱る際に気をつけること

-言志四録から紐解く-

この話は、士心塾で授業を行う時、さらには自分の子供に指導をする時、どちらにも当てはまることです。さらには、会社で起こる事にも当てはまります。

教室で子供たちがいう事を聞かず、授業に集中しない、会社で部下が失敗してしまう、家で子供がいう事を聞かない、など、経験があると思います。そんな時、あなたはどう対応しますか?

言志録 第三0条にこんな言葉が出てきます。

「自ら責むること厳なる者は、人を責むることも亦厳なり。人を恕すること寛なる者は、自ら恕することも亦寛なり。皆一偏たるを免れず。君子は則ち躬自ら厚うして、薄く人を責む。」

  自分を厳しく責める人は、人を責めるときも厳しい。人に思いやりのある人は、自分に対しても寛容である。しかし、これはいずれも厳か寛に偏っている。立派な人は、自分を責めるのは厳しいが、人を責める場合は寛容である。

 
これは私自身への言葉であると常に言い聞かせる言葉です。例えば生徒の結果がうまく出ない、生徒の取組みがうまく行かない、このような事が起こった場合、まず何が問題なのかを自らに向けて考えます。

自分自身が先生たちに与えた指導における指示であったり、ルールであったり、私自身に落ち度はなかったのかをまずは反省します。これは非常に難しく、特に親の立場で子供に接する時は、こういった姿勢が欠けることもよく起きます。私自身もまだまだ未熟であるが故です。

私が過去に働いた会社では、自分の責任を棚に上げ、上司面して部下を怒る人は数えきれないほど見てきました。私の昔の姿、今よりも全然未熟な時代というのは、同じような感じだったのかなと思います。こうあるべきではない、という代表例です。

親であっても、上司であっても、これは非常に重要な事です。まずは自らの落ち度がないかしっかり考え反省した上で、相手を叱るのです。

何事もまずは上に立つ者自ら反省し、その上で会社であれば部下を活かす、子供であれば愛のある叱り方をすることこそがとても大切な事なんだと、自らにも日々言い聞かせながら行動に移す。

まだまだ未熟である、私自身の戒めの言葉となっています。