英米留学物語

アメリカ大学生活スタート。最初の数週間は孤独との戦い。

9月に渡米した私ですが、実はいきなり大学の1年生になったわけではありませんでした。

大学が運営していた、海外生徒向けのプログラム、いわゆるESL(English as a second languageの略)という英語を第2母国語としている学生のためのコースに入ったのです。

現在は色々なESLがあり、ESLを運営する専門の会社があれば、大学が独自に運営するESLもあります。

私が通ったケンタッキー州のEastern Kentucky Universityは、当時は大学が独自に運営していたのですが、去年までは外部のESLを運営する会社に委託していて、現在はなくなってしまいました。

話はそれてしまいましたが、そもそも私は高校生時代、英語力はある方だと思っていました。しかしながらTOEFLのスコアがいまいち伸びないと言う問題も抱えていました。これは高校3年生を卒業したあたりのことです。

恐らく勉強法が悪かったのか、結局入学ラインのスコアは叩き出せず、ESL入りを決めたと言うのが経緯です。
ESLに入学したのは10月あたりでした。

卒業して半年以上経っていたのですが、その間、1日も早くアメリカに行きたかったのを覚えています。しかし、お金を貯めないと行くことはできない状況で、必死にバイトをした時期でもありました。もちろんバイトだけで支払える留学費用ではなく、親にはすごく感謝した記憶があります。

まずは学生寮に入り、いよいよESL生活がスタートします。

最初の数週間は孤独との戦いでした。ESLの私のクラスメートが1名しかいないレアな状況であったからです。

クラスメートは中東から家族で移り住んできた、赤ちゃんがいるお母さん。当然一緒に出歩けるような人ではありません。なので、他のクラスの学生と徐々に仲良くなるのに数週間の時間がかかりました。

当初は秋学期の間にTOEFLスコアを上げ、1月から入学しようと言う計画だったのですが、計画倒れになってしまいました。スコアが伸びなかったのです。
そうなんです。私自身が甘かったのです。

アメリカの大学は日本の大学と違い、1月入学と9月入学のシステムを取っているところが多くを占めます。TOEFLスコアを合格レベル以上に上げることができていれば、1月入学できたのですが、叶わず、私が入学したのはなんと9月の秋学期でした。

まったくもって、お恥ずかしい過去なのですが、ただこの事実が、私の将来に大きく役立つ出来事となったのです。

まず一つ目に、英語が苦手な生徒たちに、アメリカの先生たちがどのような指導をしているか、間近で見ることができたこと。これは私が指導者となった今だから言えることですが、非常に大きな学びとなったことは事実です。

二つ目に、この時にESLで出会ったInternational(外国人たち)の友達の多くが、今でもFacebookに繋がっている仲間である、と言う事実があります。要は世界中に親しい仲間のネットワークがあるのです。このネットワークが、ゆくゆく社会人となり、すごく大きなプラスの出来事につながったこともあります(また後日書こうと思います)。

もし1月に入学していたら、出会えなかった友達はたくさんいた事は間違いありません。そう考えると、この時の数ヶ月はとても貴重な時間だったと思っています。

こんなことを言えるのも、これは親が学費を出してくれたからに他なりません。

ESL時代が終わると、当然クラスにはアメリカ人ばかり。
単位を取りGPAと結果が付いてくるので、本気の勉強が始まっていきます。

いよいよ米国大学専門課程の学びがスタートです。