英米留学物語

留学費用工面の為休学、帰国・・宝のような時間・・

私は恵まれた状況で、米国行きを実現させることができました。しかしながら、全ては順調には行きません。ちょっと話が飛びますが、実は2年生を終了した段階で、生活費・学費の仕送りが止まってしまったのです。

各家庭、様々な状況があると思います。私は長男で4人兄弟。この事実も重々認識する中で、一時帰国を決断することになるのです。

一時帰国をする際に、その2年間で増えた家具、寝具、キッチン周りの諸々、テレビ、ビデオ、電話、洋服、その他諸々を処分しなければなりません。車も売らなければなりませんでした。そこで私がとった行動は、ガレージセールを行う事。とにかく通りすがりの多くのアメリカ人の方々に買ってもらいました。車は日本人の友人に買ってもらうことができ、日本に戻る事になります。この時のなんとも言えない気持ちは今でも忘れません。

帰国して、いつ再び米国に戻れるのか…。そこもわからない状況で、毎日の仕事が始まります。そうです。お金を稼がないといけないのです。

私が行ったアルバイトとは、朝8時―17時まで、建築現場での肉体労働。大工さんの指示に従い、なんでもやりました。そして19時から深夜ラストまで、レストランの厨房でのアルバイトです。ほぼ毎日0時を回っていました。

この経験は私にとっての宝物です。当時は本当に辛かったのを覚えています。しかし、お金を稼ぐと言うことがどれだけ大変なことなのか、身にしみて学んだ時期でした。

お給料を受け取った方法は手渡しでした。封筒に入っていた金額はおおよそ20万円程度だったと思います。この封筒をそのまま親に渡していたのを覚えています。

ある日、現場で働いていた際、空を小型機が飛んでいるのを目撃した瞬間がありました。私は航空学部で、米国では小型機を操縦する日々を送っていましたので、手を強く握りしめ、大学に戻りたいという気持ちを押し殺した時のことも鮮明に覚えています。

結局私が日本に一時帰国した期間は半年程度で、その間に稼いだ金額は150万程となりました。このお金で学費を全てまかなえる訳でもありません。しかしながら、このお金以上の価値を生み出した、貴重な半年間であったことは言うまでもないと思います。

決して忘れてはいけないこと。

それは親への感謝の気持ちなのです…。

学費を捻出してもらうのは当たり前ではない。

再度となりますが、士心塾で子どもたちに伝えたい大切な気持ち「感謝の気持ち」はここから来ているのです。